EXHIBITION Prism of the Real: Making Art in Japan 1989-2010 2025.10.01
Installation view of the exhibition “Prism of the Real: Making Art in Japan 1989–2010” The National Art Center, Tokyo, 2025 Photo: Keizo Kioku

時代のプリズム:日本で生まれた美術表現 1989-2010

国立新美術館(東京、港区)で、「時代のプリズム:日本で生まれた美術表現 1989-2010」展が開催。(会期は12月8日まで)国立新美術館と香港M+による初めての協働企画展。

本展は、1989年から2010年に、日本でどのような美術が生まれ、日本からどのような表現が発信されたのか。国内外の50 を超えるアーティストの実践を検証し、複数の視点から日本で生まれた多様な美術表現に光をあてる。

1989年‐2010年という激動の20年間
1989年は、日本では昭和から平成へと移り、海外ではベルリンの壁崩壊や天安門事件があるなど、時代のターニング・ポイントとなった年。その後、2010 年までの約20年間は、グローバル化が進み、国内外で政治、経済、社会が大きく揺れ動いた激動の時代だった。

この時期、美術の世界では、人的な国際交流が進み、若い世代によって今までにない表現や多様で豊かな表現が生み出されていった。

国立新美術館長の逢坂惠理子氏は、本展に向けて、次のように語る

「日本のアーティストが新たな表現を模索しつつ、海外にどのように受容されたのか。また、海外のアーティストが日本からどのように刺激を受け、自らの作品に反映し、日本を意識した制作を行ったのか。そうした双方の視点を取り入れたいという思いがあった。」 (press conferenceより)

また、本展の協働企画をした香港M+館長 Suhanya Raffel(スハーニャ・ラフェル)氏は、次のように語る。
「「プリズム」という概念は、展覧会全体を通して指針となるテーマであり、日本国内外の芸術表現を形作った多様な要素を明らかにする。本展のための学術研究とキュレーターによる対話を通して、M+と国立新美術館は、国境を越えて芸術コミュニティと観客をつなぐ架け橋を築くことを目指す。」(同上)

本展は、「プロローグ」(80年代初頭以降の国際化の胎動を伝える)、「イントロダクション」(1989 年を転換点として登場した、新しい批評性を持つ表現を紹介する)、1989年以降の時代をテーマに基づき3つの章(3つのレンズ:レンズ1「過去という亡霊」、レンズ2「自己と他者と」、レンズ3「コミュニティの持つ未来」)により構成。

ART PREVIEW TOKYOでは、イントロダクションと3つのレンズ(3つの章)から特徴的な作品を取り上げて本展を紹介する。

イントロダクション 新たな批評性|Introduction: A Critical Turn
「イントロダクション」では、社会が大きな転機を迎える1989 年を転換点として登場した、新しい批評性を持つ作品を紹介。

1988年、ヴェネツィア・ビエンナーレの新人部門「APERTO」(アペルト、1980年創設)に、森村泰昌、宮島達男が選出された。欧米中心の国際展への日本の批評性を持つ作品の出品は、当時大きな反響を呼んだ。続く1993年の「APERTO」でも、椿昇、中原浩大、柳幸典ら3人の日本人作家が参加した。

国内において発表歴の短い新進アーティストも、海外の展覧会で同時に発表を行う時代が到来した。

森村泰昌《肖像(双子)》1989
1988年「APERTO」(アペルト)に参加した森村は、翌89年、「アゲインスト・ネイチャー:80年代の日本美術」(サンフランシスコ近代美術館、アメリカ7都市を巡回)に《肖像(双子)》を出品。

森村泰昌 《肖像(双子)》 1989 年  Cプリント、透明メディウム 210×300cm  所蔵:森美術館、東京 © MORIMURA Yasumasa. 展示撮影:武藤滋生
森村泰昌 《肖像(双子)》 1989 年 Cプリント、透明メディウム 210×300cm 所蔵:森美術館、東京 © MORIMURA Yasumasa. 展示撮影:武藤滋生

エドゥアール・マネの絵画《オランピア》(1863)を彷彿させる作品。前景の寝そべる娼婦と、後景の黒人らしき侍女のモデルは、ともに作家自身である。

男性と女性、東洋と西洋、写真と絵画、オリジナルとコピーといった二項対立を明らかにし、文化とアイデンティティが重層的に構築される森村のコンセプチュアルな作品は、日本の現代アートへの国際的な関心を新たに呼び起こした。

椿昇《エステティック・ポリューション》1990
椿の作品《フレッシュ・ガソリン》も、米国での「アゲインスト・ネイチャー:80年代の日本美術」展に出品され、話題を呼んだ。

椿昇 《エステティック・ポリューション》 1990年 発泡ウレタン、粘土、木(ヤナギ)、塗料他  290×360×270cm 金沢21世紀美術館蔵 ©TSUBAKI Noboru. 
撮影:斎城卓 画像提供:金沢21世紀美術館
椿昇 《エステティック・ポリューション》 1990年 発泡ウレタン、粘土、木(ヤナギ)、塗料他 290×360×270cm 金沢21世紀美術館蔵 ©TSUBAKI Noboru.
撮影:斎城卓 画像提供:金沢21世紀美術館

鮮やかな黄色で彩色されたウレタン製の《エステティック・ポリューション》は、1980年代後半にバブル経済とともに崩壊しつつあった自然環境を示唆している。

「エステティック・ポリューション」(美学的汚染)という作品名は、当時、椿が美術評論家に抱いていた不信感も含んでいる。

レンズ1:過去という亡霊|Curatorial Lens 1: The Past is a Phantom
レンズ1「過去という亡霊」では、戦後生まれのアーティストたちによる日本の戦後史の再考を通して、戦争や核、植民地支配の記憶などの課題について、果敢に取り組んだ作品から、単一と思われた歴史を情勢の変化した現代から見ることで異なる読みときが浮かび上がる。

宮島達男《Slash》1990
1988年、当時、新人だった宮島も、「APEROT」(アペルト)に参加した一人。

宮島達男 《Slash》 1990年 発光ダイオード 653 × 438 cm 京都国立近代美術館 Courtesy of The National Museum of Modern Art, Kyoto
宮島達男 《Slash》 1990年発光ダイオード 653 × 438 cm 京都国立近代美術館 Courtesy of The National Museum of Modern Art, Kyoto

本展の《Slash》(1990)は、列になったLEDカウンターに1から9までの数字をループ表示し、数秒にわたって消滅したあと点燈するインスタレーション。

死、記憶、相互関係性といったテーマに、テクノロジーの際限なき加速への危険などの示唆も含む作品。

奈良美智《Agent Orange》2006
奈良の描く子どもたちは、キュートで無邪気にも見えるが、子どもたちの人物画を通して、社会問題や時事を批判する。

奈良美智 《Agent Orange》 2006年 アクリル/カンヴァス 162.5 × 162.5 cm 個人蔵 © NARA Yoshitomo, 2025
奈良美智 《Agent Orange》 2006年 アクリル/カンヴァス 162.5 × 162.5 cm 個人蔵 © NARA Yoshitomo, 2025

《Agent Orange》(2006)、《Agent Orange in Disguise》(2006)のタイトルは、ベトナム戦争中にアメリカ軍が使用した枯葉剤(エージェント・オレンジ)にちなんだもの。子どもの頭部の光るオレンジの色つかいに、作家の問題意識が表現されているように感じられる。

レンズ2:自己と他者と|Curatorial Lens 2: Self and Others  
洗練された伝統文化と斬新で奇抜な現代の文化が混在する日本は、国内だけでなく海外で活動するアーティストたちも触発した。

レンズ2の「自己と他者と」では、自他のまなざしの交換のなかから、ジェンダーに基づくアイデンティティ、ナショナリティや文化に基づくアイデンティティなど、多様な角度からアイデンティティを問う作品を取り上げている。

LEE Bul(イ・ブル)《受難への遺憾—私はピクニックをしている子犬だと思うか?》1990
「日韓パフォーマンス・フェスティバル」(1990)で来日したイ・ブルは、自身がソフト・スカルプチャー(布製のコスチューム)を身にまとい、自ら奇怪な彫刻と化し、日本と韓国で12日間に及ぶパフォーマンスを繰り広げた。(本作は、それらを映像化したもの)

イ・ブル 《受難への遺憾―私はピクニックしている子犬だと思う?》 1990 年パフォーマンス記録写真を編集した映像 3分50 秒作家蔵© Lee Bul. Courtesy of the artist
イ・ブル 《受難への遺憾―私はピクニックしている子犬だと思う?》 1990 年パフォーマンス記録写真を編集した映像 3分50 秒
作家蔵 © Lee Bul. Courtesy of the artist

父権に対する異議申し立てをテーマにする本作。絡みつく彫刻に苦労しながら歩き回ったり、転んだりする作家の動きは、自由な動きを阻む社会の規範への問題を提起する。

やなぎみわ《Aquajenne in Paradise II》1995
国内外で活躍する、2009年の第53回ヴェネツィア・ビエンナーレ日本館代表のやなぎみわ。

やなぎみわ 《アクアジェンヌ イン パラダイス II》 1995 年 Cプリント 各200.0 × 100.0 cm (3点組) 国立国際美術館蔵 © Miwa Yanagi
やなぎみわ 《アクアジェンヌ イン パラダイス II》 1995 年 Cプリント 各200.0 × 100.0 cm (3点組) 国立国際美術館蔵 © Miwa Yanagi

「エレベーターガール」は、彼女の初期の代表作。同じユニフォームに身をつつみ、個性なく記号化された女性たちは、日本における女性像の一つの側面を表現。やなぎは、同時に、エレベーターガールを、狭い箱の中で社会と縁を切るという、一つのシンボルとして表現。

「マイ・グランドマザーズ」シリーズ(2000)や「フェアリーテール」シリーズ(2004-06)など、やなぎは一貫して、現代の日本の社会における女性の存在や意識に焦点を当てる。

レンズ3:コミュニティの持つ未来|Curatorial Lens 3: A Promise of Community        
レンズ3の「コミュニティの持つ未来」では、地域社会や既存のコミュニティといった特定の集団や文化に属することを超えて、新たに人々と社会とのつながりや関係性を構築していくプロジェクトの可能性に着目。

小沢剛《べジタブル・ウェポン-さんまのつみれ鍋/東京》2001
世界各地に住む女性たちが野菜などの食材で作った銃を手にポーズをとる〈べジタブル・ウェポン〉シリーズ。

撮影が終了すると「武器」は解体され、野菜を料理に使って参加者たちで食事を分かち合う。

小沢はこのシリーズで、破壊を目的とした物体をつながりの構築に変える可能性を示唆する。

小沢剛《ベジタブル・ウェポン-さんまのつみれ鍋/東京》 2001年 Cプリント 113.0×156.0cm 国立国際美術館蔵 © Tsuyoshi Ozawa
小沢剛《ベジタブル・ウェポン-さんまのつみれ鍋/東京》 2001年 Cプリント 113.0×156.0cm 国立国際美術館蔵 © Tsuyoshi Ozawa

「プリズム」から生じるスペクトルの広がり
光を分散・屈折・全反射・複屈折させるための光学素子である「プリズム」をキーワードに掲げた本展。

本展の意義について
「1989年から2010年の期間にアーティストが模索し挑戦し続けてきた表現から、視る側である私たちが、生き抜くために多元的な視点を読み解き、何らかの気づきを得る」
と語るのは、逢坂館長。(逢坂惠理子「序に代えて―プリズム展前夜」『時代のプリズム:日本で生まれた美術表現1989-2010』図録より)

日本で生まれた美術表現の光を分散させることによって生じたスペクトルが、さらなる進化を遂げるように、本展の作品から鑑賞者が得た気づきのスペクトルが広がり次なる時代につながっていく起点となるのではないか、そのような思いを胸に会場を後にした。(APT

Prism of the Real: Making Art in Japan 1989-2010
The National Art Center, Tokyo | 2025 .9.3 – 12.8

CONTEMPORARY ART POWER from Tokyo