「ロン・ミュエク」展が森美術館(東京都、港区)で開催中(会期は9月23日まで)。本展は、カルティエ現代美術財団との共催。
ロン・ミュエク(1958年オーストラリア生まれ、英国在住)は、革新的な技法や表現方法を用いて具象彫刻の新境地を切り開いた現代美術作家。
ミュエクは、映画・広告業界で20年以上働いた後、90年代に彫刻の制作を開始。
1996年、ロンドンのヘイワード・ギャラリーで開催された展覧会に彫刻《ピノキオ》(1996年)を出品し、美術界デビューとなった。
第49回ヴェネチア・ビエンナーレ(2001年)で巨大な少年像《ボーイ》(1999年)を発表、国際的に注目を集める。
米国のサンフランシスコ近代美術館やフォートワース現代美術館など多くの美術館に彼の作品は収蔵されているが、日本では、十和田市現代美術館(青森県、十和田市)に常設展示されている4メートルもの異様な大きさの 《スタンディング・ウーマン》(2007年)でも知られる。
本展は、作家ミュエクとカルティエ現代美術財団との長年の関係により実現した大型の企画展。2023年のパリの同財団での「ロン・ミュエク」展が起点となり、その後、La Triennale di Milano(ミラノ・トリエンナーレ、2023-2024、イタリア、ミラノ)、韓国国立現代美術館(2025、韓国、ソウル)を経て、本展へ巡回。
日本では、2008年に金沢21世紀美術館(石川県、金沢市)で回顧展が開催されて以来、2度目の個展となる。
大型作品《マス》(2016-2017年)など作家の主要作品を中心に、初期の代表作から近作まで11点が展示され、そのうち6点は日本初公開。
APTでは、作家のユニークな経歴を概説の後、作品を5点選んで紹介する。

映画広告の造形制作から美術作家への転身
映画や広告の世界で模型やマネキンなどの造形制作からキャリアをスタートしたミュエク。
ドイツ系の人形職人を母にもち、1970年代末頃より20年あまりオーストラリア、米国、イギリスといった国々で映画やテレビ番組の模型の制作に携わる。
1986年にロンドンへ拠点を移し、1990年には自らのプロダクション会社を立ち上げ、広告業界向けに主にマネキン人形などを制作。
「ミュエクは映画、テレビ、広告用の模型製作で成功を収めていたが、注文を受けて働くことに次第に満たされない思いと不満を感じ、自分のための作品を作り始めた。」
(Susanna Greeves and Colin Wiggins『Ron Mueck』National Gallery London, 2003)
90年代半ばに、彫刻の制作を開始した。

きっかけは、画家である義母からの依頼
彫刻家への転身のきっかけは、ポルトガル人画家パウラ・レゴ(義母)から依頼された造形物(ピノキオの彫刻)の
制作だった。
白いブリーフ1枚だけを身につけ、いたずらっぽい表情をした小さな少年像《ピノキオ》(1996年)。
1996年にヘイワード・ギャラリーで開催された「Spell bound : Art and Film」展でレゴの絵画とともに展示され、彫刻作家としてのデビュー作となった。
この作品が、著名なコレクターのチャールズ・サーチの目に留まり、コミッションの依頼を受ける。
翌年、他界した父親を小さく表現した《死んだ父》(1996~1997年)が、ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツで開催された「センセーション:サーチ・コレクションのヤング・ブリティッシュ・アーティスト」展(1997年、ロンドン)に出品され、注目を集める。
多義的な解釈を可能にする表現
本展のキュレーターの一人、近藤健一(森美術館)は、ミュエクの作品の特徴の一つとして、
人間を非常に綿密に観察し、哲学的な思考を重ね制作されている点を挙げ、その作品の魅力について、
「洗練されて生命感にあふれ、孤独や危うさ、弱さ、不安、回復力といった人間の内面的な感情や体験を巧みに表現している。実際の人物よりも、はるかに大きく、もしくは小さく作られるその彫刻は、私たちの知覚に対する先入観への挑戦でもある。同時に、実際に存在していそうであるというリアリティ。そこに肉泊する一方で、鑑賞者一人一人の解釈や思索を促す曖昧さを残している。」(プレス内覧会時の解説より)と語る。
例えば、《舟の中の男》。
長さ4メートルを超える船に裸の中年男性が座っている。男性は船体に対して極端に小さく表現され、周囲からも隔離された状態で、男性の孤独感が漂うが、表情は曖昧。彼がどういう気持ちであるのか定かでない。

美術批評家の評も、次のように多様。
「何が待ちえているのかと好奇心を抱く」(コリン・ウィギンズ)
「傾いた頭は不安と疑いを物語るが、それにもかかわらず彼は怯えているよりも好奇心旺盛に見える」(ロパート・ストー)
「男性の縮小された再現は問違いなく鬱病、あるいはおそらく一般化された精神的無力」(ベーター・スローターダイク)
(『Ron Mueck』Mori Art Museum, 2026)
本展の図録では「舟を操作することをせず腕を組んでいることから、半分諦めた気持ち」で考え込んでいるとの解釈も示されている。
造形制作の経験に裏打ちされた高い技量を駆使し、人間を綿密に観察し、思索を重ねながら、精緻に創作を進めるミュエク。一つの作品に数か月~数年かかるという。
6メートルを超えるような大型作品から小さなスケールの作品まで含め、ミュエクの総作品数は50点ほど。
本展の出品作品
《エンジェル》1997 日本初公開

背中に大きな翼をもつ、裸の小柄な男性の作品《エンジェル》(1997年)。
スツールに腰かけ、物思いにふけり、物憂げな表情を浮かべている。
「センセーション:サーチ・コレクションのヤング・ブリティッシュ・アーティスト」展(1997年、ロンドン)でも脚光を浴びたミュエクの作品だ。
本作品は、18世紀のイタリア画家、ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ作《ヴィーナスと時間の寓意》(1754-1758年頃)(ナショナル・ギャラリー所蔵)のなかで「時間」を表す翼をもつ年老いた男性からインスピレーションを得た創作。
ナショナル・ギャラリーがミュエクを5人目のアソシエイト・アーティストに招聘するきっかけとなった作品。
1990年代後半にミュエクが取り組んだテーマには、時間の他に、自画像、誕生、老いなど、いずれも時代を超越した伝統的なものがあった。(Susanna Greeves and Colin Wiggins『Ron Mueck』National Gallery London, 2003)
《若いカップル》2013 日本初公開


一見どこにでもいそうなロンドンの10代のカップル。二人は寄り添って立ち、少年は少女に何か打ち明けているようにも見える。しかし、背後では、彼は彼女の手首を無理やりつかんでいるようにも見え、二人の関係は単純ではなく、何か複雑な含みがあることがわかる。
《買い物中の女》2013 日本初公開

両手に重い食料品の袋をぶら下げ、オーバーコートの懐に赤ん坊を抱えた母親の立ち姿。
母親は赤ん坊を気遣う様子もなく、前方を空虚に眺めている。
その表情から疲れ果てた様子がうかがえ、日々の重圧で押しつぶされそうとも見える。
ミュエクがロンドン北部のスタジオ近くの交差点で目にした母親の姿を駐車券の裏にスケッチしたことがきっかけで制作された作品。
《ゴースト》1998/2014

水着を着たティーン・エイジャーの女子が、壁にもたれかかって少し斜め横を向いている。
身長2メートルと等身大の人間より大きく、足は極端に細長く、違和感のあるバランス。
10代の急速に変化する身体に少し恥ずかしさと気まずさを感じるからなのだろうか、戸惑っているようにも見える。
ミュエクは「この作品を完成させたとき、少女の肌の色調が青白すぎるのではないかと懸念しつつ「雪のような」(ghostly)という言葉が頭に浮かんだ。」と語る。
「ポルターガイスト現象は思春期の少年少女がいる家庭で報告されることが多く、かれらと関連づけられているということを思い出した。そして幽霊が生きる者と死者の世界の間に閉じ込められているように、ティーン・エージャーたちも子ども以上大人未満という不確実な場に身を置いていることに気づいた。」
(『Ron Mueck』Mori Art Museum, 2026)
《マス》2016-2017 日本初公開

巨大な頭蓋骨の彫刻100点で構成されるインスタレーション《マス》。
タイトルの「マス(Mass)」は、山のように積み重なったもの、大量のものや集団という意味だけではなく、カトリック教会のミサなど、さまざまな意味がある。
メルボルンで開催されたNGVトリエンナーレ 2017で発表されて以来、本展の巡回とともにパリ、ミラノ、ソウルでも公開。展示の際には毎回、展示会場の構造や特性に合わせて100点の頭蓋骨が再構成される。
例えば、ソウル展では天井が高い展示室の特性を活かして、垂直方向に積み上がる構成だった。本展ではむしろ水平に展開する約300平方メートルにわたる展示。
本作は頭蓋骨がわずかに異なる2色に塗り分けられ、それぞれ、ヒビの入り具合や歯の欠け方などディテールが異なっており、私たち一人ひとりを象徴することを示唆。
ミュエクは本作のステートメントで
「かれらはかつて人間だった。私たちと同じ人間。かれらは、私たちだ」と述べる。
(『Ron Mueck』Mori Art Museum, 2026)

映像作品にも注目
《マス》の展示室を通り抜けると、次の展示室では、フランスの写真家ゴーティエ・ドゥブロンドがロンドン(2005~2013年)と英国南部のワイト島(2019年~)にあるミュエクのスタジオを撮影した映像2作品を見ることができる。
これらの映像作品では、作家が型から作品を取り出す期間や髪の毛一本一本を扱う様子、また粘土をこねて表面を磨き彫刻の原型を精密につくる様子などミュエクの制作方法がつぶさに映し出されており、必見だ。
内側に宿る生命
「表面の制作に多くの時間を費やしてはいるが、私がとらえたいのは内側に宿る生命なのだ。
シワを見てほしいわけではない。その人そのものを見てほしいのだ。」
と語るミュエク。(『Ron Mueck』Mori Art Museum, 2026)
自画像、母と子、幼少期、老いと死など、普遍的なテーマを扱い、高い技術力と人間の身体を細部にわたってつぶさに容赦なく描写するミュエクの彫刻作品。
超越的なリアリズムによって、「孤独」や「恐れ」、「空虚」、「悲しみ」といった人間の内面にある複雑な感情や心理状態が絡み合って作品の細かな表面から表出するミュエクの彫刻。
「精神的に自分自身を主題へ投影させることもプロセスの一部です。」
(「ロン・ミュエックの言葉」『ロン・ミュエック』フォイル, 2008)というミュエクの作品。
作家の投影であるとともに、鑑賞者も鑑賞を通し作品に自身の内面を投影していることにも気づくのではないか。
多義的な解釈というミュエクの魅力は、自分自身を問う鑑賞体験にもつながるのではないか、と考えながら会場を後にした。(text by MK, APT)

ARTIST Info |
Ron MUECK
1958年オーストラリア生まれ、英国在住
主な展覧会
● 2025 「Ron Mueck」National Museum of Modern and Contemporary Art, Soel(Soel , Korea)
● 2024 「Ron Mueck」Voorlinden museum & gardens(Wassenaar , The Netherlands)
● 2023-24 「Ron Mueck」Fondazione La Triennale di Milano (Milano、Italy)
● 2022 「Ron Mueck」Fondation Cartier pour l’art contemporain (Paris、France)