EXHIBITION Yuko MOHRI “On Physis” 2024.12.27
毛利悠子《Piano Solo: Belle-Île》のためのスケッチ 2024年

毛利悠子 ”ピュシスについて”

2024年の第60回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展の日本代表に選出されるなど、華々しい活躍をみせた毛利悠子。磁力や電気、空気の流れや変化など「見えない力」に形を与え、インスタレーションとする現代美術作家だ。

アーティゾン美術館(東京、中央区)で開催中の毛利の大規模展「ジャム・セッション 石橋財団コレクション×毛利悠子―ピュシスについて」(会期2025年2月9日まで)では、過去作を含む7つのプロジェクトを一堂に展示。その魅力を探った。

展示風景 photo by ART PREVIEW TOKYO

「Physis(ピュシス)」とは
 本展のテーマである「Physis(ピュシス)」とは、「自然」や「本性」という意味を持つ古代ギリシア語。語源は諸説あるが、「ピュシスとは、物理的な動きに加えて質の変化や生成消滅の〈運動〉を意味していた」(内海潤也「試論:運動への誘い」『ジャム・セッション 石橋財団コレクション×毛利悠子-ピュシスについて』2024年)ことから、本展では、運動に充ちた自然、そして物理的運動だけではなく、自ら生成するエネルギーを示唆する自然、ともとらえられている。

なぜ「Physis(ピュシス)」なのか
 毛利は、「技術を主軸とした作品ばかりつくってきたにもかかわらず」「ずっと自然をテーマに活動してきた」(「作家インタビュー:技術への問い」『ジャム・セッション 石橋財団コレクション×毛利悠子-ピュシスについて』2024年)と振り返る。そして「私は集めたりかり立てたりし終えたような、目的を消尽くした時代遅れの技術を用いて、そこに偶然性とか不確定要素といった、私にとっての自然を呼び込むインスタレーションをつくってきた」(同)と語る。

 毛利は、作品のインスタレーションについて、「重要な点は、作家が自分だけで作品のすべてをコントロールするのではない」とし、「動き続ける状況をつくり、そこに偶然性を取り入れる。作品は、私が意図した動きを厳密に再現するための装置ではなく、気づかないときにオンになったり、動いてほしいときに動いてくれないという要素をも含」むので、不安になることもあるとしながら「その不安さに重要性がある」(同)と言う。

 毛利の「ピュシス」は、「偶然性」や「不確定性」がキーとなる。すなわち、モノを通して、形のない現象を取り扱う毛利にとって、偶然性や不確定性を含んだ「運動」や「動き」こそ、彼女のインスタレーションの「見えない力」を知覚させるためのポイントといえるだろう。

展示風景 photo by ART PREVIEW TOKYO

「回路(サーキット)」の意義
 毛利は、主にインスタレーションや彫刻を通じて、磁力や電流、空気や埃、水や温度といった、ある特定の空間が潜在的に有する流れや変化する事象に形を与え、人々の新たな知覚の回路を開くことを試みる。ここで鍵となる「回路(サーキット)」。

 「回路(サーキット)」は、連結状態がエラーなどの偶発性によって変化する。移り変わる空間の要素によっても、作品はimprovisation(即興演奏)のように一回限りの事象を起こす。そしてこの回路は、「見えない力」を別の質に変え続けていき、その「動き」そのものが、作品なのだ。

 毛利は、ヴェネツィア・ビエンナーレ国際美術展の日本館展示でも発表された作品《モレモレ》でも、「回路(サーキット)」について頻繁に言及している。

 「モレモレ」シリーズは、毛利が東京の地下駅でしばしば起こる雨漏りを観察したことから始まったもの。駅構内で雨漏りが発生するとき、駅員がプラスチックのバケツやビニールシートなどの日用品を一時的な雨受けとして使うことへの興味を契機に、記録写真やインスタレーションへと発展していった。ヴェネツィア・ビエンナーレでは、嵐に見舞われ《モレモレ》は想定外の動きを見せたそうだ。

展示風景 photo by ART PREVIEW TOKYO

コレクション作品との併置による「回路(サーキット)」としての機能
 アーティストと石橋財団のコレクションの共演の第5回となる今回の「ジャム・セッション」展では、毛利作品が石橋財団コレクション作品と空間のなかで併置されている。

 「亡くなったアーティストは展示に関われないから、工夫のないまま展示するとどうしたってミイラのようになってしまう」から、「ひとりのコンテンポラリー・アーティストがモダン・アートで回路(サーキット)をつくって血をかよわせていく、ということだと思うんです」(同)と語る毛利。

 ジョルジュ・ブラック《梨と桃》も毛利の《Decomposition》の果物のインスタレーションと組み合わさることで、新規な見方ができるかもしれない。クロード・モネ《雨のベリール》と毛利《Piano Solo: Bellelie》もフレッシュだ。

展示風景 毛利悠子《Decomposition》(2021年-/24年、部分)photo by ART PREVIEW TOKYO
展示風景 毛利悠子《Piano Solo: Belle-Île》(2021年-/ 2024年、部分)photo by ART PREVIEW TOKYO
クロード・モネ《雨のベリール》1886年 石橋財団アーティゾン美術館

 毛利いわく、「アート作品のひとつひとつが、展示空間という回路(サーキット)のなかにある抵抗器として存在することで、会期を通して鑑賞者や私自身の思考がだんだんと変化していくことを期待しています。」(同)

 コレクション作品と毛利の現代アート作品のジャム・セッションでは、時代超えた創造性の交わりから、鑑賞する側も作品の新たな地平線を見出しながら、毛利のサーキットの一旦を担うといえるのではないか。

CONTEMPORARY ART POWER from Tokyo